このブログで何度か書いてきましたが、私はKindleのKDP(個人出版)本のファンです。
読み放題がはじまる前は、毎月数多くのKDP本を買っていました。プロが書く完成された本よりも、素人が書く未熟な本に多くの金を使っていたわけです。
なんでだろう?と我ながら不思議に思って考えてみました。
素人が好まれる分野
素人作品が人気の市場はたくさんあります。
まず、コミケが思いつきます。1つの文化と言えるほど成長しました。
他にも、夏のキラーコンテンツである高校野球は、昔から絶大な人気を集めてきました。エラーあり、守備崩壊の大量得点ありで、そこがいい。
その他に思いつくのは、音楽でしょうか。カラオケが普及してから、素人が歌いやすい曲が売れる現象が起きました。いかにもプロらしい曲は売れない。
技巧を尽くしたジャズが廃れて、歌謡曲が興隆したのも同じことかも知れません。
さらに、芸能界のアイドルにしても、地下アイドル・地方アイドルが大きな市場になっているそうです。高嶺の花の有名アイドルはつまらない、という声がある。
AKBとその類似グループは、どれも距離感の近さを売りにしています。アマチュアらしさと言ってもいい。
映画やテレビにしても同じでしょうか。プロがお金をかけて作ったものより、Youtubeの個人投稿動画が人気です。1日のうちで、テレビを観ている時間よりも、Youtubeを観る時間の方が長い人が増えている。
友人の駄文の方が価値がある
プロの方が、品質面で優れていることは言うまでもありません。しかし、そこに価値を感じるとは限りません。
すごく極端なことをいえば、文学作品よりも、友人からきたメール・ラインの方が価値を感じるわけです。
人類の遺産ともいえる古典よりも、素人の駄文を読みたい。いくら美しい文章の古典だとしても、そこに価値を感じない。
つまり、偉大な才能をもって生まれた人が、血のにじむ様な努力をして作り出すものより、凡人が1分間で作り出すものに価値がある。
文学作品より友人のメールに価値がある事実は、品質で優れることに意味がないことの典型的な例です。
価値が崩壊した分野
絵画では100年以上前にこの現象が起きています。
写真機が発明されてから、写実的な絵に価値がなくなりました。信じられないほどの才能を持った天才たちに、価値がなくなってしまったわけです。
今では、幼稚園児の絵と見分けがつかないような奇怪な絵が、「現代アート」と称して高値で取引されるようになりました。
現代では、「上手い絵」に価値はないのです。
ピカソは以下のようなチープな絵を量産しました。
ピカソはいくらでも上手い絵が描けるのに描かなかった。上手い絵に価値がないと知っていたからです。
本の市場も崩壊間近
いろんなケースを思いつくままに書いてみましたが、このような価値の暴落は、書籍市場でも確実に起きつつあります。
文学的な才能を持った人の市場がどんどん縮小している。村上春樹が最後の巨人になると思います。
昔の価値観で言うプロの文章には、誰も価値を感じられなくなる。
コンテンツの量が爆発的に増えたので、質にたいする有難みがなくなってきています。
最後はやっぱり親近感
「高品質」「低品質」という基準がなくなるとしたら、残る価値は「親近感」です。
音楽にしても、芸能人にしても、映像作品にしても、あらゆる分野で起きている価値観の変化です。
文学作品よりも、親近感のある友人の文章に価値を感じるのと同じです。
私がKDPにことさら興味をひかれるのも、親近感です。私と同じ凡人の素人が書いているから面白い。
社会的に偉大な成果を残した「偉い人」の文章には、興味が持てなくなってきた。
昔は、著者の経歴を見て、「これだけの経歴の人が書いた本なら、良い内容だろう」なんて基準で本を買ったこともありますが、そんな理由で本を選ぶことは一切なくなりました。
むしろ、偉そうな経歴が書いてあるほど読む気がしなくなってきた(笑。
「上手い絵」に価値がないのと同様に、「良い内容の本」に価値がなくなってきたのかもしれません。
「品質=価値」という等式が成り立たない時代になりつつあります。
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